琵琶湖と伊吹山から思う事:その5「日本海敦賀と琵琶湖の運河計画」

災害・ハザードマップ
トーイ
トーイ

伊吹山だけじゃなく、琵琶湖への興味も尽きないぞな

たかむら
たかむら

神話にはじまる歴史もそうだし、このエリアは実は観光に重要な要素をすべて兼ね備えてるんだよ

トーイ
トーイ

今日は以前の投稿でも触れた琵琶湖と日本海の敦賀を水路でつなぐ「運河計画」のことだワン

たかむら
たかむら

この運河計画、実に平安時代末期の1150年(久安6)ごろの平清盛の嫡男である平重盛の運河計画が発端だそうな

先日の織田信長公が伊吹山に設けた高山ハーブ園が1558年(永禄元年)からだから、その400年も前からある壮大なプロジェクトになるね

くわしくはつぎのホームページで文献などとともに紹介されてるよ(出典元)

日本横断運河
日本海と琵琶湖を結ぶ運河計画は平重盛より昭和まで連綿と続いた。幕末加賀藩は和算家石黒信由等をして運河の測量も行った。
トーイ
トーイ

乗り物ニュースでもこのことを取りあげていたぞな

一歩手前だった「日本版パナマ運河」とは!?「琵琶湖~日本海直結」の夢はなぜ何度も散ったのか | 乗りものニュース
日本最大の湖・琵琶湖をそのまま北へ伸ばし「太平洋と日本海を運河で結ぼう」という壮大な構想が、実は約1000年前の平安時代から何度も浮かんでは消えています。
トーイ
トーイ

しかし、京都の隆盛がよくわかる逸話だぞい

たかむら
たかむら

うん

昭和8年(1933)には、京都と琵琶湖をつなぐ水路「琵琶湖疎水」を成功させた田辺朔郎さんがこの計画を実現しようと奔走していたという史実もあるしね

琵琶湖疏水 - Wikipedia
トーイ
トーイ

水路から陸路への時代に移り変わりも見えてくるんだなも

たかむら
たかむら

そうだね

ところで、このところの投稿はボクらの興味深い話題になってるけど、このシリーズの本来のテーマは地殻変動なんかによる「地形分析」なんだ

トーイ
トーイ

そういえばそうだったぞな

たかむら
たかむら

地学の専門家ではないので ”分析” というにはすこし烏滸(おこ)がましいけれど、能登半島地震が起こした地表の隆起は ”このこと” を考える大きなきっかけになったよ

トーイ
トーイ

インスピレーションはたいせつだなも

たかむら
たかむら

トーイはいつでも前向きだね

トーイ
トーイ

オイラ ”たち” だワン

たかむら
たかむら

さっきの運河計画なんだけれど、ひとつ気になるところがあってね

トーイ
トーイ

ほむほむ

たかむら
たかむら

さきほどの田崎さんなんだけれど、運河をつくるのにあたって「日本海と琵琶湖の水位差85mは閘門水路方式(パナマ運河)で解決しようとした」とされているんだ

トーイ
トーイ

!!!

おはようございます、髙村むねかつ です。

琵琶湖の話題は尽きません。

尽きないところでありますが、実は先日タイの海岸に大量に魚が打上げられたニュースがありこれを緊急で取り上げようとしていました。

このことから思い当たるのが、北海道の浜に大量のイワシが打上げられたあのニュースです。

そして、さきほど今朝早朝にインドネシアでM7.0の大きな地震が発生したとの報道が流れました。

インドネシア M7.0の地震 日本への津波の影響なし 気象庁 | NHK
【NHK】ハワイにある太平洋津波警報センターから気象庁に入った連絡によりますと、9日午前5時49分ごろ、インドネシア付近を震源とす…

このインドネシアですが、火山噴火のニュースとともに以前取りあげたことがあります。やはりこのエリアですね。大陸プレート沿いはいまだ活性化したままと見るのが自然でしょう。

あのおびただしい数の魚が海岸に打上げられる現象にはまだネーミングがないのでしょうか。

本日はこれにて失礼します。