この投稿は、じつは何度かアップデートしてるぞな
そうなんだよ
この頃(2023年初頭)から地震災害への警戒感、危機感が高まってきていてね
まず、国や県、国土地理院が提供しているハザードマップをもとに稲沢市に起こるであろう巨大地震災害について考察していたんだ
時系列はさかのぼるけどなも、2023年6月21日にアップデートとして次の新規投稿を書き加えたぞい
このハザードマップの利用方法の記事投稿にあたっては、まず南海トラフ巨大地震などが起こったときの津波被害の影響を確認しておきたかったんだ
そして、ここからが元の投稿の書き出しの部分なんだ
結果的としてだけれど、2024年1月1日元日の能登半島地震において、この次に投稿した液状化現象を目の当たりにすることになったね
わたし個人としての強い祈りを込めてですが、今しばらく、といっても30~40年くらいは南海トラフで起こるといわれている超大型連鎖地震は眠っていてくれるのでは、と考えています。その根拠は後述するとして、いま現在、南海トラフ地震で想定される震度や津波の高さについて、国土交通省 気象庁のホームページでは下の画像のとおり公表されています。
このままだと被害がわかりづらいので、愛知県が公表しているマップから稲沢市を拡大して加工抽出してみたのが以下の画像です。
まず、揺れ具合を示す震度からですが、市内全域に渡り震度6弱が予想されています。この大きさですと、近年の建築物の耐震構造であればほぼ倒壊は見られないはずです。実際に東北大震災においても平地部にでの地震そのものでの倒壊被害はあまり大きいものではありませんでした。
能登半島地震をうけて、この家屋の倒壊について追記するぞな(2024年1月11日)
能登半島地震の報道では、メディア、SNSを通じて多くの家屋の倒壊が伝えられているね
まず、映像を見る限り、木造瓦(かわら)屋根の倒壊が目立ってるんだ
今回の能登半島地震での耐震基準を満たした建物の倒壊は、それまでの3年間くらいに渡って起きた度重なる震度5~6の地震のダメージが蓄積されたものだという見方もあるぞな
この点についてはすこし疑問を感じてるんだけれどね
次は津波です。こちらは稲沢市への直接的な被害が予想されていないため、県西部全域を加工抽出しました。
次に地震による津波の遡上による浸水深ですが、海抜そのものはそれほど高くない稲沢市にあっても、かろうじて被害は逃れられそうです。
こうしてみると、稲沢市は震度6弱という揺れ以外では比較的セーフティであろうという予測がたちます。しかし、問題はまだまだ残っています。木曽川河畔に接する土地であることから地盤がとてもゆるく、たとえば基礎杭が地下30メートルまでいっても立たないなどの建築業界の情報もあります。
この点は、後日、別エントリーとして次に投稿しました。結論から申し上げると地盤の「液状化災害」です。
さて、南海トラフ巨大地震はそうすぐには起こり得ないのでは?という根拠です。それは戦時下で秘密にされたという以下の2つの地震によるものです。
1944(昭和19)年12月7日に発生した東南海地震、1945(昭和20)年1月13日に発生した三河地震は、第二次世界大戦の敗戦濃厚となった時期に発生した地震である。東南海地震と三河地震をあわせた被害規模は、死者・行方不明者が約3,500人、住家・非住家全壊が約5万棟にのぼったが、特に名古屋重工業地帯の被害は甚大で、軍用機をはじめとする軍需生産力にも大きく影響したといわれている。このため、地震に関する調査資料は極秘とされ、戦時報道管制の下、
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1944_tounankai_jishin/pdf/10_chap6.pdf
被害に関する報道も厳しく統制された。(内閣府 防災情報のページ 第6章 戦時下での地震 第1節 報道管制の概観より)
すでに70年ほど経過していますが、この地域の地震エネルギーはおそらく開放されているのでは、という考えです。そのため、30~40年というスパンを前置きしたわけです。この点を深掘りした別の記事を後日エントリーしました。それが次の投稿です。
さらにここから、さまざまな記事へと派生していきました。結果として、能登半島地震の予兆だったと考えているのがつぎの投稿です。
「このまちをデザインする」をモットーに、日本のほぼど真ん中、愛知県の最西、すでに半生を過ごしたここ稲沢市でエヴリデイ東奔西走中!
” ONE! INAZAWA – Our New (Next) Experience ”
当サイトは、2008年からはじめたブログ「ニュース!1730(イナザワ)」を継承しています。
二十歳ではじめての国府宮はだかまつり参加以来、市内勤務を経て2001年より稲沢市在住。その後、長女の出産、ボランティア活動などあらゆる出会い、体験・経験を経て、2008年より祖父江町四貫地区(長岡校区)にて居を構えています。
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