70~100年前後の近代地震史からアレコレ想定してみる

災害・ハザードマップ

以前、ここ数十年は南海トラフ巨大地震は来ないであろうという強い願いの根拠について、つぎの内容でエントリーしました。

その深掘り編として今回のエントリーをしたためていますが、第二次世界大戦中の情報統制の中で秘匿された東南海地震と三河地震について、まず内閣府防災情報のページにある災害概略シートにあるPDFファイルから概要と被害状況を抜粋してみました。


【概 要】
東南海地震は、典型的な低角逆断層地震であり、マグニチュードは7.9であった。強い揺れによる被害は、三重県、愛知県、静岡県で発生し、津波による被害は主に三重県の海岸に集中した。東南海地震から37日後には、三河地震が発生した。この地震も逆断層型の地震であり、マグニチュードは6.8、地震による被害は、三河湾の北に位置する蒲郡市、幡豆郡吉良町、西尾市、安城市などで甚大であった。

発生年月日:
・東南海地震 1944(昭和19)年12月7日
・三河地震 1945(昭和20)年1月13日
主な被災地域:三重県、愛知県、静岡県
被災規模:死者・行方不明者:東南海地震 1,223人、三河地震 2,306人

https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1944_tounankai_jishin/pdf/12_sheet.pdf

約1ヶ月の間に2つの大きな地震が発生しています。現代ほど観測精度が高いとは思えず、実際の揺れはもっと大きなものだった可能性があります。また、前震や余震など、本震と連携している揺れについてのデータがなく、溜まったエネルギーが開放されることで発生するというメカニズムを根拠にするならば、さらに遡って考察するほかありません。すると、同サイトの資料にはこんな記録がありました。

1707年宝永地震から約150年あけて1854年に安政地震、そしてさらに110年後の1944年に上にある東南海地震が発生しています。ただ、そのまた2年後という期間で1946年に昭和南海地震が発生しています。この昭和南海地震、実にM8.0というプレート境界型の巨大地震だったそうです。このあたりのデータが、駿河湾を中心として発生するとずっといわれている東海地震の根拠だといえます。「これら昭和の地震の割れ残し(未破壊)部分が、次の地震(想定東海地震)の震源域と推定されている。」と画像に注意書きされているとおりです。Gapという線引が震源域となる可能性が高い断層のようです。

いずれにしても、巨大地震発生の条件が、プレートそのものが強大な歪みによるエネルギーを蓄えていることであるならば、その蓄積には約100年はかかるものと希望を込めて考えたくなります。

しかし、いずれも海なんですよね、これらの巨大地震は。逆に、地球表面の7割が海だとすれば、地殻内の変動がわかればいいと思うのですが。

そこで、近代で稲沢市近辺の内陸部で起きたもうひとつ巨大地震について、次回触れてみたいと思います。