バットは振らなきゃ当たらない。たしかに。では?

グレシャムの法則

CMでもおみかけするようになったiOSアプリ「hinadan(ひな壇)」の開発で有名な若宮正子さん。このエントリーのタイトルにあるキャッチフレーズ、いや、スローガンかな?が実に印象的です。IT界隈に ”も” いるものとして、クローズアップされた初期から注目していました。当時、iPhoneもスマホもアプリ開発途上期でしたね。

このスローガンそのものを、ボランティアやNPO、市民活動、任意団体界隈でも実によく耳にするようになりました。足がすくむ、なんて経験は誰しもありますし、どうも気が乗らないてなんてのは当たり前のこと。閃いたアイデア、発想、モチベーションに、重い腰を上げてひとまず取り掛かってみることの意義がよくわかる上手な比喩だと思います。ただ、プレイヤー側に立って見たときに、いつも思うことがあります。

調子を上げるため、もしくは調整のためにバッターに向けてボールを投げる。このジョブがどれだけ重要なことか、と。

では、誰がボールを投げてるの?
相手はバッティングピッチャーなの?
それとも、ガチンコ勝負?

Wikipediaの「打撃投手」の項目の解説ではまず、「打撃投手は、打者の打撃練習のための球を投げる投手。 バッティングピッチャー(B・P)、略してバッピとも呼ばれる。」とあります。つづいて「打撃練習の際に意図的に打者に打たせる球を投げるのが打撃投手の役割である。ピッチングマシンと異なり、実際の人間が投じる生きた球を打つことはより実戦的な練習となるため、プロ・アマを問わず打撃投手は需要がある。」とされています(以上、引用)。

ひとりきりで活動を始めたとき、まず賛同者を見つけることを考えると思います。また、できたてのチームでも構いません。先人の活動を参考にしたり、とうぜんいろんなアプローチ、展開方法があると思いますが、必然的に要件を満たすどこかへの登録に行き着きます。

そこでおそらくコーディネーターやファシリテーターとの出会いを果たすわけですが、けしてバッピであるとは限りません。先日のエントリーで「資質の発掘と育成」を掘り下げましたが、行き着くところ、私はこのバッピの重責だと考えます。

握りたてのバットでスコーンと真芯で捉えた良いヒットを打たせてあげたいじゃないですか。もちろんこの世界のことですから、投げる方も楽しんで投げたい。そんなことを活動のポリシーにしています。

たまに意地悪な球も投げたりなんかして、とうぜん遊びも交えてですよ。でも往々にして、そういう小細工するほうのスキルレベルもかなりものが要求されるんですよね。