暮らし、働き方がどう変わるのか?「人工知能チャットボット・ChatGPTの登場」:その1

ITとAIとデザイン

登場直後から強烈なインパクトともにネット上のニュースからブログ、SNSまで話題を集めまくっているChatGPT(チャットジーピーティー)。人との対話のみならず、ゲームの対戦相手からプログラミングなどのIT的な振る舞いはとうぜんそれっぽいものの、絵や音楽、小説、脚本、詩、歌詞や作文など、小学生の夏の課題ならそのままわずか数分間でクリアしてしまうほどのクリエイティブな才能に溢れています。すでに、あちらこちらの界隈でChatGPTをつかった遊びが試行錯誤されていて毎日飽きることがありません。

一方で、日本政府が懸命に推進しているDX(デジタルトランスフォーメーション)があります。ITやデジタル技術を用いることで、ビジネス(仕事)や暮らしに変化をもたらしていくことを目的としています。ChatGPTはそのDXの中にカテゴライズされるものですが、その優れた才能を目の当たりにしてしまうと「やはり黒船が来た!」というのが率直な感想です。

WebサイトのDXといえば、近年ではチャットボットと言われる無人での自動応答・対応にスポットがあたっていました。サイト上での問い合わせへの回答やサービスの予約など、これまでいったん担当者が受け取ってから一定の期間をおいて回答、手続きを進める有人対応がネット上でほぼ自動化、完結されるので、コロナ禍ではたいへん重宝された機能です。しかし、元で用意する回答などにはある程度の幅があり、もちろん対応できないこともあります。すべてではないですが、何よりもAIが得意な「学習」からは少し切り離されていたところがあるはずです。

この先、暮らしや仕事が「楽」になっていくのはたしかですが、それはあくまでも”手続き”の部分です。店先で在庫を尋ねるのも、法律の専門家に訴訟を依頼するのもすべて手続きです。DX推進ではまず、専門家や士業、専門機関の仕事が失われるといわれてきました。DXの掲げる”生産性向上”というお題目は、足元の社会構造、つまり、すべてのひとの働き方、生活への変革につながるものです。

変革には、変わって良くなるものがあればとうぜん失われるものもあります。私個人はずっと「選択と集中」を掲げてさまざまな活動をしてきました。だれもが無限に湧き上がるお金や時間をもっているわけではなく、そうすると自ずと弱点を補うより強みを伸ばすほうがコスパ、タイパが良いという結論にたどりつくからです。

DXに携わる身として、たいへんな興味をもって注視しているガテゴリーなので、今後もシリーズ化していきます。昼夜間人口比率など、暮らしに直接関わる以前のエントリーと少し絡んでいく予定です。